カリフォルニア大学デイビス校
東アジア言語文化学科名誉講師

1971年 短期大学部英語科卒業

 

 

 

   卒業生だった母の生涯の支えは東京女子大の時のお友達との交友でした。その母に教わった「新しい学びや人への優しさを大切にする精神」に惹かれて、私は短期大学部英語科に入学しました。

 それから丁度40年がたち、今私はカリフォルニア州サクラメントで充実した日々を過ごしています。あの選択は正しかった!二年の間に詰め込まれた質の高い教育とそれを担う優れた諸先生方の熱意。そしてクワイアで歌いながら神の存在に近づいて行った大切な二年間は、その後の私の人生の最も重要な糧となりました。

 無我夢中で過ぎる学生時代ですが、その中で自問し考え気付くことの中に、将来のヒントが潜んでいます。愛情深く包みこむ良い教育環境に流れる空気は、それを掴もうという意志が起きた時に自分のものとなっていきます。「意志」は人生を大きく左右するのです。女子大の百年の歴史が築かれてきた中には、先生方や関係者の方々のどんなにたくさんの祈りや思いが詰まっていたことでしょう。きっとそれを少し頂いて、私も旅立ったのだと思います。

 新渡戸先生が画期的な日本初のキリスト教主義の女子大を創設された頃の時代背景と今とを比べてみると、多くのことが変化している中で、まだ女性進出の遅い日本の現状があります。外国と隣接していない日本では、素晴らしい伝統が息づく一方で、新しい考えを取り入れていくのに時間がかかるのです。これには日本語の特徴が深く関わっているため、英語の日常的な使用は重要な課題に思われます。また、アメリカでは女性が一人の人間として大切にされ、その個性を存分に生かす場が与えられているので、その方向に向かうにも、まだ日本では女性自身の多くの努力が必要とされているでしょう。

 私はICUに編入してからも英語の勉強を続け、英語教師として恵泉女学園高校に勤務。日系米国人の三世と出会い、結婚して1980年に渡米しました。以来、夜学に通ってESL(外国人のための英語教授法)の修士号を取得し、異文化の中での娘二人の子育てをしながら、ESLや日本語教授で長い教育の仕事に携わって多くの経験を積んできました。

 退職後の現在は、温めてきたシベリア抑留の日英両語サイト(*)のプロジェクトを中心に教育活動を続けながら、音楽、花、料理の三つの趣味を楽しんでいます。

 「失敗から学び、出会いを見つけ、自分らしさを信じて、祈りつつ、新しい未来を。」私達の一歩がきっと社会を明るくします。 

 

 

*日本人のシベリア抑留ホームページ      japaneseinsiberia.ucdavis.edu