京都ノートルダム女子大学学長
元東京女子大学学長

 

1965年 文理学部英米文学科卒業

 

 

 受験前に、初めてキャンパスに足を踏み入れた時、圧倒的な緑に包まれたその姿に、「ここで学べたら...」という思いを強く持ちました。特に、ライシャワー館のお庭は、完全に、異文化の世界だったことを記憶しています。
 今、振り返って、北米を中心とするプロテスタント女性信者の方々の善意に、改めて深く感謝いたします。

 本館正面に刻まれたラテン語は、どんな時にあっても、この大学を愛し特別に想う人々への自戒のことばとして、静かに語りかけています。
 私が学んだ時代には、本館は図書館でしたが、新しい図書館が建てられることになった時、大学評議会で、その正面にこのフレーズを何語で刻むかという議論が起きました。この言葉は、新約聖書のフィリピの信徒への手紙から引用されていますから、オリジナルのギリシャ語はどうかと提案してみましたが、当時の学長でいらした哲学者の山本先生には、やはり学問の府にはラテン語がふさわしいとして、あまりはっきりとは見えないのですが、本館と同じラテン語で刻まれることになりました。

 エンパワーメント・センター設立に当たっては、国広陽子先生を中心に、計画を練り、文部科学省での説明では、丁度学長職にあった私が、説明を行ったことが思い出されます。

 「女性活躍」という言葉が、相変わらず掛け声ばかりの空しい響きを持ち続けている日本、順位付けの大好きな競争社会の中で、女性の地位の世界ランクは低くなるばかりの現実にあって、東京女子大学で学んだ女性たちは、苦しむものと共に苦しみ、泣く人と共に泣くという世界,いえ、地球規模の平和の生き方の種をまき続けていると思います。

 聖書の言葉に根差し、他宗教の深い教えにも学び、命を育む女性こそが、今、リーダーと呼ばれている人々の多くがme first となりつつあるこの時代に、100年の歴史に張り巡らされた根を、更に強く、深く、広げて、一見どうしようもなく見えるこの世を、喜びに満ちて生きられるものに造り替えてゆかれることを確信しております。