国際航業株式会社公共コンサルタント事業部
海外コンサルティング部
コンサルタント

 

2000年 文理学部社会学科卒業

 

 現在私は、国などから委託を受け、開発途上国で政府開発援助プロジェクトを実施する企業で、開発コンサルタントとして仕事をしています。これまでアルバニア、インドネシア、エクアドル、カンボジア、タイ、トンガ、フィリピンなどで、母子保健、ジェンダー主流化、防災などに関わる現地の人材育成を行うプロジェクトに参加しました。プロジェクトの期間は1〜5年ほどで、プロジェクトが始まると、数ヶ月おきに現地に赴任し、相手国政府と協議をしながら仕事を進めていきます。自宅は東京にありますが、年の半分近くは海外に出張しています。

出張先のインドネシアで

 「大学ではまず教養を学んだ上で学部選択し、きちんと卒業論文を書かなくてはいけない」という父の勧めで東京女子大に入学しました。初めて正門からチャペルと本館を目にした時の感動を今でも覚えています。
 しかし、入学後しばらくは目標が見つからず、本を読んだり映画をみたりして、半分引きこもって過ごしていました。そんな時、唯一関心を持てたのが英語でした。米国での夏季語学研修に参加し、British Councilによる特別授業も受講しました。他には、佐久間孝正先生の通称「プロ倫」でウェーバーの思想を学んだことや、寿町の支援をする先生のキリスト教学の授業が印象に残っています。今振り返ると、この時期に学んだことが、その後の研究や仕事の基礎となりました。
 3年から伊奈正人先生のゼミに所属し、個性の強いメンバーと楽しい時間を過ごしました。「学外にどんどん出ていけ」という先生の方針もあり、「タイのエイズ問題」の卒論執筆のためにタイのスタディツアーに参加したり、他大学のゼミに参加したり、次第に世界が広がっていきました。

修士論文のタイ調査

 文字も読めず言葉も通じないタイで、瀕死のエイズ患者と出会った経験は、その後の人生を大きく変えました。帰国後、満足に情報収集できなかった自分に不甲斐なさを感じ、大学院への進学を決意しました。卒業後は早稲田大学に進学し、タイの大学への留学を経て「HIV感染者による社会運動」をテーマに、修士論文を完成させました。

 大学院修了後は保健医療支援を行う特定非営利活動法人に就職しました。その後何度か転職しましたが、ずっと国際協力関係の仕事をしています。37歳の時には、スキルを高めるため再度留学しました。周りは10歳以上若い同級生ばかりでしたが、充実した2年間でした。仕事で同窓生に会うこともあり、嬉しく思います。最近はOGの堂本暁子さんが代表をつとめる「男女共同参画と災害・復興ネットワーク」の運営委員としても活動しています。

留学中に同級生と

 大学時代は何にも情熱を持てない時期もありましたが、次第に「色々な国で現地の人たちと一緒に仕事をする」という夢ができて、気がつけばその夢が叶っていました。また、私の生き方を理解してくれるパートナーとも出会い、公私ともに充実した日々を送っています。これも、大学時代に「タイに行く」という一歩を踏み出したおかげです。
 今目標が見つからない人や、思った通りの結果を得られなかった人も焦らず「今したいことは何か」を考え、それに近づくために、何かを選び取ってみてください。すると新しい景色が見え、また別の選択をする時が来ます。どんな経験もいつか思わぬ形で役立つことがあります。怖れず自分のタイミングで一歩を踏み出してほしいと思います。

2015年に国連平和大学大学院を修了