1950年 専門部数学科卒業  

 

 

 

 私は小学、中学時代の殆どが戦時中、即ち1937年7月に盧溝橋事件で始まった支那事変(日中戦争)以後1945年8月に大東亜(太平洋)戦争が敗戦で終わるまでの8年間だった世代に属しています。それは、自由に考えることは国に疑問を抱き、国を愛していないことだと言う雰囲気の時代でした。今思うと、幸い私の家庭は家庭内では、当時としては自由な雰囲気があったと感謝しています。

 女子大に入学したのは終戦からまだ2年足らずでしたから、日本国民はまだ自由主義、民主主義、個人主義などを充分理解していなかった時代でした。戦後の混乱のため私は受験した二つの女子大の入学式に出た後に大学を選ぶことになったのです。(この経緯は2007年発行の「旅人われらII —東京女子大の卒業生たち」にインタビュー記事として掲載されています。)どちらの大学でも学長は新入生に大学の精神や理想などを話されました。

 当時は校長を始め先生達のお話は、「こう考えるべき、こうすべき」という話ばかりでしたが、女子大の石原謙先生は全く違っていて、聞きながらいろいろ考えさせられ、人間の生き方について自分なりの考えも導き出さねばという気持ちになったのは忘れられません。戦争中に殆ど教わらなかった物理を勉強しようと思い、その大学を受験したのですが、それを学ぶ機会を捨てて女子大を選んだことを後悔したことはありません。

 その時ここには今まで私が考えたことがなかった大事なものがあると感じたのは間違いありません。女子大入学後、安井てつ先生がおっしゃっていたsomething のことを知り、これがそうだったのだと思いました。安井先生から直接そのような話をうかがう機会がなかったのは残念でなりません。

 その後、1956年10月から夫のOxford大学留学に同伴してイギリスに一年間滞在した時、同じようなsomething を感じたのです。西欧人は個人主義と聞いていたのに、一般市民たちの社会への「思いやり」が日本より温かいと感じたことでした。その後、この国に永住することになって、イギリスのチャリティ活動や、ボランティア精神などが日本と大分違うのはここにあると思いました。自分自身もその精神で40年近く続けている国際児童文庫協会のボランティア活動を続けると同時に、日本の若い世代にイギリスのチャリティ活動やボランティア精神を出来るだけ伝えたいと願っています。