社会福祉法人喜慈会 子中保育園 副園長
公立はこだて未来大学特任准教授 博士(学術)

 

1991 年 文理学部日本文学科卒業 

 

 

私が東京女子大学に入学した理由は、高校時代に興味を持った源氏物語を大学で専門的 に学びたいと考えたためです。その興味は失わなかったものの、それ以上に興味を惹かれたのが初めて出会った国語学でした。当時、新入生にはクラス制・担任制がありました。担任の丸山直子先生がとても楽しそうに国語学について語る様子を拝見し、深く学びたいと強く思ったことを覚えています。そして、このときの先生の姿は、その後、私が大学の教員になって学生に接する際、保育園を運営して職員や子どもたちと接する際の、大切な鑑(かが み)となりました。教え込もうとするのではなく、魅力を楽しく語ること。それは人の学びに携わる人であれば誰にとっても大切なことだと思います。

水谷静夫先生・丸山直子先生から学んだ計量国語学の知識・技術を仕事にも活かしたいと 考え、卒業後は財団法人の研究所に就職しました。さらに、専門性や探求する力を身につけるため、数年後、休職して神戸大学で博士号を取得。復職後しばらくして公立はこだて未来大学の准教授になりました。未来大では、前職の仕事で出会ったワークショップやファシリテーションの理論・実践論も活かしつつ研究と教育を進め、退職した現在も年に2回の集中 講義を担当しています。この 30 年ほど変わらない興味は、言葉を分析してコミュニケーシ ョンをデザインするということ。授業としてはチームの力で問題解決や価値創造を図るグループワークを実践しています。東京女子大学の特別講義でお話させていただいたこともあります。

はこだて未来大学の退職は家庭の事情によるものでした。単身赴任であったため離れて いた子どもの問題や高齢の親が運営していた保育園の問題が重なり、考えた末に大学を退職。保育園運営を選択し、保育士の資格も取得しました。人生 100 年時代と言われる昨今、このようなライフシフトは多くの先輩・後輩のみなさんも経験されていることと思います。
大学を出て就職した組織に退職まで勤める人はますます少なくなるでしょう。そんな変化 の多い社会において、私にとっては東京女子大学で培われた Service and Sacrifice の利他的精神や、自立・自律の精神が困難を乗り越える際の原動力になりました。仕事人としての、社会人としての、そして人としての礎を育む場、それが東京女子大学です。