Reiko Matsuo Latanzio

Web Producer/Designer

Emerald Expositions, Inc., New York , NY

 

1977年 文理学部英米文学科卒業

 

 結婚と子育て。私が東京女子大学を卒業した1977年には、この二つだけが女性の卒業後の本命だと信じて疑わない人たちが私の周りにあふれていました。男女共受験勉強を切り抜け、大学で視野を広め、これからという時に女性だけ急に目標をすり替えられるのは余りにも不公平だと思いました。

1977年、4年生の時に校門前で

  

 私は元々好奇心が強く、思いこんだらトコトンまでやってみないと気がすまないタチです。文学を通してかいま見たアメリカを自分の目で見て体験したいと言う夢にとりつかれていました。それに向っての第一の目標は、英語をnativeのレベルまで習得し、経済力をつけること。そして周りからの期待に押しつぶされることなく、自分で納得のいく人生を築いていくことでした。

 

 卒業後40年以上たった今、フロリダのメキシコ湾ぞいの海辺を散歩しながら思います:いろいろ大変なこともあったけれど、なんとか思いどおりに生きてきた。」

いま住んでいるPort St. Joe,  Fl.の風景です

 私の人生は次のように展開してきました:
卒業後、東京でDenmarkのオモチャ会社 LEGO に勤めた後、ついに夢が叶って、1979年にMassachusetts Mount Holyoke Collegeから 一年間の奨学金を頂きました。American Studiesのプログラム終了後は、MassachusettsNew Jerseyの新聞社で 十八年間、記者とレイアウトの仕事。その後十年間は、New York にある、journalismの雑誌社でDesign Directorの仕事。その間にはThe New Yorker Vanity Fair などのイラストで有名な Edward SorrellRalph Steadman, Steve Brodnerとともに仕事もしました。 “President’s Award for Innovation and Creativity”と云う賞を頂いたこともありました。 125年の歴史あるその雑誌が2009年の終りに経済不振の煽りで廃刊された時には、一年半学校に通ってデジタルデザインの勉強。現在のWeb Producer/Designerの仕事を引き受けてから、今年の5月で8年になります。 

2年半前までのマンハッタンの通勤路 World Trade Center and 9/11 Memorial, New York, NY

New YorkのBroadwayに面したオフィスの向かいにあるTrinity Church。 背景にはWorld Trade Center.

 

 

 

 

 

 

  

 

仕事をしながらも、他の分野に視野を拡げて勉強していたのが幸いして, 仕事を通して知り合った人達から新しくチャンスを与えられ、何とか仕事を続けてこられました。二年半前にフロリダに引っ越す事になったときにもHigh-Speed Internetのおかげで、New Yorkにある会社での仕事をスタッフとして続ける事ができました。

 

 東京女子大学の リベラルアーツの教育は、journalismの仕事をするのに、かけがえのない基盤を築いてくれました。政治、経済、医学、文化、芸術、主題が何であれ、インタビュウの準備をする時に基本の知識がどんなに役に立った事でしょう。また、英語力、各分野に渡る知識のみでなく、障害をのりこえて めげることなく目標に立ち向かい続ける逞しさを 私は東京女子大学で身につけました。

2018年10月、夫のGeorgeとともに、山口県の家族を訪ねた時

 

今では、息子の陽(アキラ)もNew Yorkで一人立ちし、私は、新聞社時代に出逢った夫 Georgeと共に、これから先どんな人生を創り上げていくのか楽しみです。

 

 

 学生の皆さん、自分の信念に自信を持ってがんばってください。 結婚と子育ても含めてです。運は自分で勝ち取るものだと私は思います。東京女子大学が 皆さんにも、自分に相応しい幸せな人生を切り開いて行く力を与えてくれますように。

 最後になりましたが、佐藤宏子先生故西野和子先生 卒業後もNew Yorkで何度も食事に誘ってくださり、ゆっくりとお話しする機会も与えて下さいました。先生方にお会いする度に元気が出たものです。ありがとうございました。

金曜日に仕事が終わってから散歩する家のすぐ前の海岸