映像翻訳者
フリーライター

 

1989年文理学部心理学科卒

 

 

 

中国語のドラマや映画の字幕翻訳の仕事をしています。大学時代は心理学科、第2外国語はフランス語で中国語とはまったく無縁でした。

 

中国四川省臥龍(2000年)。里親をしていた亮亮(リャンリャン)と。

卒業後は出版社に入り、すぐに結婚して転職、4年後に今でいう「妊活」のために辞職。在職中にお世話になった編集長に声をかけられフリーランスで編集・ライターの仕事を受けるようになりました。たまたま、主人の仕事の関係で中国旅行に行き、中国料理の奥深さに魅了され、帰国後に「レストランで中国語のメニューを読み注文したい」という一心で中国語と中国料理の教室に通い始めました。この頃は真剣に学ぶことが、忙しい日々のストレス解消になっていた気がします。

 

 

何度か短期留学を経て、翻訳学校に通うようになり、そこで知り合った友人の紹介で字幕翻訳の世界に。初めての仕事は全48話の歴史ドラマ。さんざん苦労して何とかスタートを切りました。40歳を過ぎたころのことです。以来、なんとか切れ目なく、歴史ものから恋愛ドラマ、ドキュメンタリーや映画など、字幕の仕事が続き、仕事の重心をライター業から翻訳業に緩やかに移行して現在に至ります。合間に作品紹介の記事を書くこともあります。映画の公開やテレビの放映が始まると、真っ先に感想を聞かせてくれるのが東女の友人や後輩たち。ありがたくて頼もしく、そしていとおしい人たちです。

ほのかなあこがれを抱いて東女に受験の下見に行った日のことを今も鮮やかに覚えています。冬の晴れた日でした。一歩門をくぐった瞬間に「この学校に入りたい。ここで過ごしたい」と強く思いました。まるで一目惚れのようでした。東女のキャンパスという外界から遮断されたような美しい空間で過ごした4年間は私の根底にしっかりと刻まれ、自信と誇りになっています。

 

東女で知り合い、今も付き合いの続く人たちは、ひと言でいうとみんな「しなやか」です。骨太な強さというより、たわんで跳ね返すような女性らしい強さを秘めています。私たちを取り巻く環境や自分自身の状況は絶えず変化し、予想もしていなかったことが起こります。時には自分自身が変化するしなやかさが有効なことも。私は流れに身を任せるようにして今の自分にたどりつきました。結局子どもを授かることはできず、それが心の重荷になっていた時期もありました。学生時代に思い描いていた未来とはずいぶん違います。そして50歳を過ぎた今もなお、この先にどんな変化が起こるのか、不安と期待が半々。東女に一目惚れした時のようなときめきを忘れずに生きていきたいと思っています。