ジャーナリスト

1982年
文理学部史学科日本史専攻卒業

 

 

私が東京女子大学を卒業した1982年は、キャリアウーマンブームはあったけれど、男女雇用機会均等法はまだなく、女性が男性と同じ条件で働ける会社、業種は非常に限られていました。

生きがいになる仕事をしたいと願いつつ、それ以上に重い課題として結婚が目の前に立ちはだかっていて、世間でいう「クリスマスケーキ説」(女性は25歳になると結婚市場で値が下がる、という失礼な言説)に対抗して、「25歳、みんなで越えれば怖くない」などと、友人同士で励まし合っていたのです。

 

そんな狭間の世代にとって、人生は「仕事に生きる人になるか、仕事に生きる人の妻になるか」という、ほぼ二択状態でした。ところがバブル時代に、「仕事も結婚も子どもも、みんな手に入れるわ」と、強い「握力」を発揮した松田聖子さんを目の当たりにして、「そうか、その方向もアリだな」と、私も仕事、結婚、子育てを並行させていくことにしました。

とはいえ、まだ社会に子育て支援の機運は乏しかった。おかげで、その後はイバラの道でした(笑)。ただ、楽ではなかったけれど、いろいろと楽しかったことは確かです。

 

そんな自分の握力も、50代半ばになると相当弱まってきます。まあ、ここまで来たら、あとは静かに消え去るのみ……。と、終わりの美学に酔おうとしていたら、なんと今度は「100歳社会の到来」が、盛んにいわれるようになりました。

「まだまだ、働かないとあかんぜよ」という、どこからかのご宣託に、「冗談じゃないっ」と、あがきつつ、ここで自分の知識・情報を更新しないと先はないな、とも考えました。

 

55歳で入学した大学院では、同期で最高齢の女子学生として、あるいは教授よりも年上の学生として、新卒から還暦過ぎまでの学生がいる共学のキャンパスで、まったく未知だった理工系の学問に取り組みました。

その2年間もイバラの道でした……イバラの押し売りですみません。しかし、では、それらイバラの道を乗り越える自分を支えていたのは何なのだろうか。そう考えた時に、東京女子大学の4年間で触れた、キリスト教的な明朗さ、公平さ、個人尊重の感覚が、自分の中に思いがけないほど大きくあることを、発見しました。

 

現在の風潮として、女子大学への期待はかつてよりも下落していると感じます。しかし、男性からの目線を意識しないで、女性が好きな学問、好きなテーマをのびのびと追求できる環境は、まさに当事者としての好奇心を養ってくれるものです。いつ訪れても変わらぬ美しいキャンパスは、浮世でざわつく心を落ち着かせる鏡。母校が、そのよさを広く知られ、永く続くことを願っています。