横浜副市長

1982年 文理学部社会学科(鎌田ゼミ)卒業 

 

 

 

 

 女子大受験の動機は不純でした。採用の決定権を握るおじ様たちは「女子大」が好きに違いない。とふんだのです。これは当たりだったと思います。結婚と同時に仕事を辞めるのが当たり前の時代に、女性にも一人前に仕事をしてもらおうと考える民間のご企業から内定を頂くことができました。でも、社会学科の恩師、鎌田とし子先生に自分を養っていくことの厳しさを日々語って頂いたこと、そして、卒論の指導を仰いだ古屋野正伍先生に、横浜市役所の面白さを教えて頂き、公務員として社会人生活のスタートを切りました。

     横浜市役所庁舎

  主張すべきはきちんと主張する女子大のスタイルのまま、猪突猛進で仕事をしましたので、「そんなことは行政の仕事じゃない!」「言われたとおりにやればいいんだ」と叱責され、局長室にお出入り禁止になったりもしました。「子育ては母親が家でやること。税金を使った子育て支援だと?お前はいったい何を考えている!」と真っ向否定されたのは25年前の出来事です。それから何年か経ち、「こども青少年局」を設置する仕事が回ってきたときには、嬉しくて飛び上がりました。

 ものすごく悔しく辛い状況にあっても、「人」と「仕事」に誠実に向き合っていれば応援してくれる同僚、上司にも巡り合えるし、凡そ真なるもの(キャンパス正面に掲げられている言葉です)をひたすら求めていけば必ず叶う。これは、35年以上の社会人経験を通しての実感です。私は今、共感と信頼、おもてなしの行政を掲げ、子育てや教育を大切にする、横浜市政初の女性市長である、林文子市長を傍でお支えするという、大変ですが充実した日々を送っています。こんな日がくるなんて1ミリも想像したことはありません。コノヤローと思っても、めげずに、やるべきことをやりきり、真なるものを目指してみてください。必ず応援してくれる運命の人に巡り合えるはずです。