学校法人城西大学法人本部 事務局次長

1987年 文理学部日本文学科卒 

 

 

 

 

幼いころから本を読むことが好きだった私は、文学部ばかりをいくつか受験した中から美しいキャンパスに心奪われ、熊本から上京し、1983年東京女子大学文理学部に進学しました。

 

1年のときは、特別プログラムという制度のもと『古今和歌集』を学ぶ水野彌穂子先生のクラスの所属に。授業で要求されるレベルの高さに、この知の格闘が大学かと感じた瞬間を今でも感激とともに思い出します。

 

大学時代は、東京でしかできないことをしようと意気込み、歌舞伎研究会に。終わるといつも中村勘九郎さんの楽屋にお邪魔させていただいていましたが、舞台裏を見ることで、演じることの難しさ、生まれによる差別、礼儀作法、客席を満員にする大変さなど社会の厳しさを知る貴重な機会にもなりました。

 

2年生になり、源氏物語研究で高名な秋山虔先生のゼミを選択しました。文学を学ぶことが、社会で働くことに役に立つのかと思われる方も多くおられるかもしれません。しかし、私が今まで働き続けられたのは、秋山先生の指導のもと、力を尽くして調べること、必ず原典にあたること、論文は評価が高いものを読むこと、日本語を正しく読み書きする力をつけることを要求され、それに応えた日々があったからと確信しています。

 

卒業後は、女性総合職一期生として、東京海上火災保険株式会社に入社しました。157名の総合職の採用のうち、女性は2名。初めての総合職の女性ということで多くの困難もありましたが、厳しい研修を受け、すばらしい仲間と男女の差別なく働いたことは、得難い経験となり、その後の社会人生活を支えてくれました。

 

現在は、城西大学の法人部門で働いています。社会のグローバル化、情勢の変化の影響を受け、日本の大学も世界のマーケットにさらされることになり、自分の大学の魅力は何かと考える毎日です。

 

東京女子大とのつながりで申しますと、「TWOキャリアネットワーク」という卒業生の集まりの代表をしています。同窓生が力を合わせてネットワークを広げ、教養を深めていく活動を楽しみながら継続していることに喜びと清々しさを感じています。

 

いま、人生100年時代と言われ、AIに仕事を奪われる悲観的な未来図が語られていますが、それに対抗するためには、柔軟な思考を持つことが大切です。意味を考え、新しいストーリーを作る、これは人間にしかできないことです。東京女子大学が推進するプロジェクト「挑戦する知性」におおいに期待しています。